離職
安定していても、信頼できる上司がいてもモチベーションが下がる組織構造

「いい会社」だった。高い技術力を持つ商材、実力を正当に評価してくれる上司、業界水準を上回る待遇。それでも、人は会社を去ることがある。
10年間、大手メーカーで営業職として働いてきた隆さん(仮名・33歳)は、自らの意思でそのキャリアに区切りをつけた。
昇進も評価も手にし、挑戦できる環境にも恵まれていた。それでも、彼が「辞めよう」と決断した背景には、「がんばっても報われない」と感じる組織構造があった。
※本記事は取材に基づいて構成されていますが、個人が特定されないようプライバシーに配慮しています。
目次
新卒時代のモチベーションは“かっこいい大人”への憧れ
――就職活動では、どんな軸で企業を選びましたか?
隆さん「当時は東日本大震災やリーマンショックの影響もあり、世の中全体が不安定でした。だからまず、潰れない会社に入りたいという思いが強かったですね。
実は父が同じ業界で働いていて、今の会社を勧めてくれたんです。ここなら絶対に面白いことができるって。当時は技術力の高さにも惹かれましたし、入社できて本当に良かったと思っています。父の勧めもあったので長く働くつもりでした。
僕は仕事に誇りを持つ父と、家庭を支える母のもとで育ちました。無意識のうちに、父のような“働く男”に憧れていたのかもしれません。家庭を持ち胸を張れる仕事をしている。そんな、かっこいい大人になりたかったんです。」
――将来は、どんな姿を思い描いていたのですか?
隆さん「社会にインパクトを与えるような仕事がしたかったですね。たとえ直接的でなくても、経営に関わって業績を上げたり、雇用を守ったり。そんな責任ある立場に意味を感じていました。実は、いつか海外で働くことにもずっと憧れていたんです。」
――社内にロールモデルとなるような人はいましたか?
隆さん「最初はいませんでした。でも、3年前に今の営業所長が大阪に着任して、価値観が大きく変わったんです。
その上司は、仕事のスキルはもちろん、人間的にも本当に尊敬できる方で。誰に対しても公平で、厳しさと優しさを絶妙なバランスで持っている。この人のもとで働きたいと思い、自分ももっと成長したいと強く思うようになりました。」
――理想を実現するため、どんなことに取り組みましたか?
隆さん「営業以外にも、新商品の開発やDX推進など、さまざまな業務に挑戦しました。これをやってみたいと提案すれば、きちんと応えてくれる環境でしたし、上司には本当に感謝しています。
もちろん、希望を出せば何でも通るわけではなく、結果を出して信頼を得たうえでの話です。でも、実力があれば挑戦できる会社だったと思います。」
――働き方に無理はありませんでしたか?
隆さん「正直、ワークライフバランスは最悪でした(笑)。土日も普通に出社してましたし、現場や設計部門から休日でも電話がかかってくるような環境でした。
それでも、会社を大きくしたいという思いが勝っていて、自発的に動いていたんです。妻からの評価は低かったと思いますが、それでも夢中で仕事に打ち込んでいました。
でも、任される仕事が増え裁量が広がっていく中で、理想と現実のギャップも大きくなっていきました。」
能力より社長の“好み”歪んだ人事制度への失望
10年間にわたり、裁量ある仕事に挑戦し、信頼できる上司のもとで結果も出してきた。それでも、隆さんは会社を去る決断をした。
――会社に点数をつけてもらった際、組織文化について「2点」と厳しく評価されていました。その理由を教えてください。
隆さん「3年前に今の営業所長が着任するまでは、前任の所長がひどいパワハラをしていて、不正行為にも手を染めていました。
最終的には会社を辞めたのですが、その後、なぜか協力会社の上層部に収まっていたんです。あんなことをしていた人が、なぜそんなポジションに?という不信感が強く残りました。社長の好き嫌いで人事が決まってしまうような不透明な仕組みが見えてしまって。その時、強い違和感を覚えたんです。」
――不正をしても処分されない空気に、不信感を持ったのですね。
隆さん「そうです。退職を考えた大きな理由のひとつでもあります。
パワハラや不正が、うやむやに処理されて終わってしまう。責任を取るべき人が、取らずに次の役職へ進んでいく。
そういう流れを見て、この会社の正しさって何だろうと疑問を持ちました。
実力や誠実さよりも、声が大きい人や勢いのある人が評価される。
『本当に評価されるべき人が報われていない』と、感じる場面が多くありました。」
――組織の将来性についても、課題を感じたと聞いています。
隆さん「はい。実力があっても、もう抜擢されることはない組織になってしまっていたんです。僕の上の世代がほぼポストを占めていて、昇進できるのは早くて50代前半、遅ければ50代後半。
かつては、実力次第で若手でも抜擢される例外があったらしいんですが、ここ数年で完全になくなりました。今は、ほとんどの人が横並びのスピードでしか昇進しない。頑張っても、誰かを抜くことはできない。『もう、この組織では何をどれだけ頑張っても、報われる形は決まっている』──そう確信したとき、未来が見えなくなりました。」
――仕事内容に対して、報酬は見合っていたと感じますか?
隆さん「それは本当に、十分すぎるくらいもらっていました。責任ある仕事を任されて、さまざまな人と関わって、多くの経験も積ませてもらった。
でも、その分この給料でこの仕事?と驚くようなケースも目にしてきました。そういう中で、やっぱり見えてきたのは、社長の好みや感情が人事に強く影響しているという現実です。能力や成果ではなく、好き嫌いでポジションが決まる──その歪んだ人事制度の中で、少しずつこの仕事を頑張る意味を見失っていったんです。」
理想と現実のギャップ、会社の姿に深い失望
――さまざまな部署と関わる中で、どのような気づきがありましたか?
隆さん「任される仕事の幅が広がるにつれ、営業だけでなく、本社や研究、開発部門とも関わるようになりました。その中で、会社全体の見たくなかった部分が、少しずつ見えてしまったんです。率直に言えば、『この会社、もしかして本当にダメかもしれない』そう感じる瞬間が、少しずつ増えていきました。」
――どんな場面で、そう感じたのでしょうか?
隆さん「たとえば会社は、これからはこういう取り組みをしていきますとプレスリリースや株主説明会で立派な目標を掲げるんです。
でも実際に現場に行くと、それ、今は忙しいからとか、あれは別部署の話でしょ?といった反応ばかりで、誰も本気で取り組もうとしない。口では賛同していても、実際には誰も動かない。
社長が右を向けと言っても、現場は左を向いている。中には真下を向いてる人さえいる。自由な社風が裏目に出ていて、結局みんなが好き嫌いでしか動いていない組織になっていると感じました。」
隆さん「僕自身も “好き勝手にやっていた側”だったのかも、と今は思います。
最初は、会社を良くしたいとかもっと大きくしたいと心から思って動いていました。でも、組織が同じ方向を向いていないと感じるようになってからは、次第にモチベーションが下がっていったんです。」
――その気持ちは、いつごろから強くなっていったのでしょうか?
隆さん「明確にこの日というのはありません。ただ、いろんな部署と関わる中で、じわじわと確信に変わっていったという感じです。
この会社は、たぶん変わらない。このままここにいても、本当の意味では成長できないかもしれない。そうした不安が、徐々に心の中で大きくなっていきました。」
――今、会社に対してどのような思いを持っていますか?
隆さん「扱っていた商材や技術は、本当にレベルが高かったと思います。
これは営業としての目線かもしれませんが、お客様に提案するときの反応は非常に良く、受注にもつながりやすかった。
それは、商材そのものに力があったからこそ。僕自身も誇りを持って売っていましたし、本当に良いものを届けているという実感がありました。」
隆さん「待遇面についても、年収は十分すぎるほどいただいていましたし、家賃補助などの福利厚生も充実していました。
実際に転職活動をしてみて、改めて会社って、条件だけ見れば相当恵まれていたんだなと感じました。
でも、それでもモチベーションって下がるものなんですね。どれだけ良い商材があっても、どれだけ待遇が良くても、どれだけ信頼できる上司がいても、自分の中で前に進めているという感覚がないと、心はだんだんと離れていってしまうんです。」
――次の転職先は決まっていますか?
隆さん「はい。次の職場は自発的に動くことが歓迎され、成果を評価してくれる会社です。転職活動をして感じたのは、働くことに意味を感じられることって重要なんだなということです。」
隆さんは、会社を良くしようと動き、組織の未来に期待していた側の人間でした。
しかし、評価されても昇進が見込めない構造、ビジョンに対する経営層と現場の温度差、そ組織全体がバラバラであることに気づいたとき、彼のモチベーションは静かに、しかし確実に失われていきました。
経営に携わる方こそ、こうした“静かな退職理由”に、今こそ向き合う必要があるのではないでしょうか。
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