離職
安定を求めて入社した大企業を退職は、なぜ起きた?

家庭を築き、子どもが生まれる人生の節目に、「安定」を求めて転職を考える人は少なくない。孝介さん(仮名・35歳)も、その一人だった。
前職では、自分の手でモノを生み出す実感とやりがいに満ちた日々を送っていた。だが、長時間労働と家庭の両立は難しく、家族との時間を大切にしたいという思いが勝った。
そこで選んだのは、安定した収入と残業の少ない大手企業。転職後は、家庭も仕事も両立できる理想的な環境が手に入ったはずだった。しかし、将来性に不安が募り会社を去る決断をした。
本記事では、退職者本人のリアルな声をもとに、職場の課題を紐解いていく。
※本記事は取材に基づいて構成されていますが、個人が特定されないようプライバシーに配慮しています。
目次
安定を求めて選んだ大企業
――最初にA社に入社した理由をお聞かせいただけますか?
孝介さん「6年前の話になるんですが、子どもが生まれるタイミングで残業が多い仕事だとワークライフバランスが保てなくなり、妻に負担をかけてしまうかなと心配だったんです。A社は大手企業で、福利厚生がしっかりしている上、残業時間も少ないと聞いて。家庭との両立を第一に考えた結果、入社を決めました。」
――前職は残業が多かったんですか?
孝介さん「そうですね。中小の加工会社でマシニング(機械加工)を担当していました。3Dデータを作成して、プログラムを組んで、加工して、製品を仕上げるという一連の工程が任されていて技術的なやりがいはありました。ただ、納期の関係で仕事が集中しやすく、帰宅が深夜0時を過ぎることもありました。このままでは、妻と子育てすることが難しいなと思いました。」
――モノづくりから製造管理への転換になりますが、そこに迷いは?
孝介さん「最初はありました。でも、僕は全部を満たす環境ってそうそうないと思っていて。仕事にやりがいを求めすぎず、家族と過ごす時間に幸せを感じられたらいい、そう思ったんですよね。
実際に入社してからは、残業も少なく、給与は前職より高く、生活はかなり落ち着きました。当時は定年まで働き続けられたらいいなと思っていました。」
生産数が減少、会社の将来性に不安を覚える
――入社後、働きやすさや待遇には満足されていたとのことでしたが、不安を感じるようになったのは、どんなきっかけだったのでしょうか?
孝介さん「一番大きかったのは、工場の生産数が明らかに減ってきたことです。ガソリン車向けの部品を作っていたんですが、EVへの流れが進む中で減産が続いていたんです。」
――「このままでは、先がないかもしれない」と感じたんですね。
孝介さん「はい。復活する見込みが薄いという話は現場で上がっていましたね。社長からも“事業は伸びもしないが潰れはしない”と聞きました。仕事内容は単調でやりがいも感じづらい。誰でもできる作業をこなすだけの毎日でした。」
――将来の展望が見えなくなったんですか?
孝介さん「コロナ禍以降に生産数が減って人員削減が始まったんです。僕は少ない人員で業務を回していました。家庭の時間が確保できるから我慢していましたけど、このままでいいのか?という気持ちが芽生えた瞬間です。」
――当初、定年まで働き続けるつもりだったとのことですが、その気持ちが変わったんですか?
孝介さん「もともとは“やりがいはなくても、家庭を支えられればいい”と割り切っていました。でも、将来性がない仕事を続けて家族を養うことができるのか?自分のキャリアにも不安を感じるようになってきました。そこから、この会社で働き続けてよいのかなと迷いが生まれるようになりました」
現場で増え続けるルール
――仕事上の不満などはあったのでしょうか?
孝介さん「そうですね。大手企業を取引先に持つ以上不良品を出さないための厳格な品質管理は必要だと思います。ただ、現場ではルールがどんどん増え続けていく状態が当たり前になっていたんです。誰かがミスをすると、事故防止対策として全体ルールとして追加される。1ヶ月に数個の新しいルールができていきました。」
――ルールが増えることで、何が起きていたのでしょうか?
孝介さん「生産性を上げた人ではなく、ルールをきちんと守った人が評価される空気がありました。逆に言えば、効率的に仕事を終わらせようとしても、少しでも手順を省くとルール違反として咎められるんです。
本来の目的が“品質”なのか、“手順の遵守”なのか、分からなくなってくる場面も多かったですね。」
――全てのルールを守るのは難しかったのですか?
孝介さん「はい。すべてを厳密に守ろうとすると、単純に作業時間が1.5倍くらいになるんです。ルール自体の意義に納得できるものもあれば、これは本当に意味があるのか?と感じるものもあって…。正直、ルールは守りましたと報告して事を済ませたこともありましたね。
コロナ禍以降の減産と人員削減が重なって、ただでさえ人が少ない中で、仕事の負荷とルールだけが増えていくことが大きな負担となっていました。」
――孝介さん自身が指摘を受けたこともあったんですか?
孝介さん「はい。人手が足りない中でラインを回していたとき、うっかり工程を抜かしてしまったことが1回だけあります…。正直に謝罪しましたが、かなり厳しく詰められました。そのとき、“もう自分の判断では動かない。ロボットのようにルール通りだけやろう”と決めたんです。」
――そこから、何か心境に変化はありましたか?
孝介さん「ええ。工場内では一部の工程が自動化されていて、ロボットが同じ作業を黙々とこなしています。僕は“人間のように”ではなく“ロボットのように”働こうとしたけれど、ふと気づいたんです。『これ、いっそロボットで良いのでは?』って。ルールだけを守り続けるために、人がそこにいる意味って何だろうと。」
――仕事そのものへの不安というより、“自分の存在意義”に疑問を持つようになったと。
孝介さん「まさにそうです。会社の将来性ではなく、自分の将来が見えなくなった。だから、次は“人間だからできる仕事”に就きたいと思うようになりました。」
決定打となった監視と心の限界
――定年まで働き続けようと思っていた会社を退職しようと決断されたのは、どのようなタイミングだったのでしょうか?
孝介さん「やっぱり、監視カメラが取り付けられたときですね。僕が週明けに出社をすると、工場内に数十台の監視カメラが設置されていたんです。ルールはどんどん増えていたんですが、“本当に守っているかどうかを監視される”と感じた瞬間、気持ちが一気に崩れました。」
――監視カメラの設置について、事前に説明はあったのでしょうか?
孝介さん「一切ありませんでした。目的の説明もなく、誰が見ているかもわからない。信頼されていないんだなという気持ちが強く残りました。」
――“見られている”という感覚は、精神的に大きな負担になったんですね。
孝介さん「そうですね。管理職が安全や品質のために映像を見るのは理解できます。でも実際は、管理職と仲の良い一部の社員までが自由に映像を見られる状態で、過去のログを遡って粗探ししている姿も見ました。“ミスを探すために誰かが自分を見ている”という状況に、強い不安と嫌悪感を感じるようになったんです。」
――大企業では異動を希望することはできなかったのでしょうか?
孝介さん「実は、場の改善活動の一環で、生産効率を上げるために設備のプログラムを少し変更する必要があって、マシニングができる人間がいないかという話になったんです。僕は前職でその分野をやっていたので、『じゃあ、ちょっと触ってみるか』という話になりました。」
――久しぶりのマシニング作業、どうでしたか?
孝介さん「正直、楽しかったです。懐かしいというか、自分はこういうのが好きだったなという感覚が一気に戻ってきました。自分で考えて、自分の手で形にしていく。作る楽しさを久々に感じましたね。」
ただ、残念だったのは、提案してみた改善案もルールに反するからダメと却下されたことでした。
ああ、やっぱりこの会社では自分の工夫は活かせないんだと感じて、そこで一気に気持ちが固まりました。」
――“ここでは叶わない”というという現実とのギャップですね。
「そうですね。せっかく思い出した“やりがい”を、また押し殺して働き続けるのはもったいないなと思って。
自分が力を発揮できる環境にもう一度身を置きたい、そう思うようになりました。」
孝介さんの退職理由は、「ルールに潰される主体性」「会社からの説明不足」といった、制度の不備ではなく現場とのズレに起因するものでした。
ルールは、現場の負担になっていたのです。現場主導でQC活動やルールの定期棚卸しを行う仕組みを作れば、守るためのルールが生産性を上げるルールに変わっていた可能性があります。
またマシニングを久しぶりに触った際、孝介さんは「やっぱり工夫する仕事好きだった」と語り、提案までしています。本人のモチベーションに関わるサインとして捉え、機会提供ができていれば、別の選択肢が生まれていたかもしれません。新たなルールなど設ける際は、他の人の意見にも耳を傾ける大切さがインタビューから伺えました。
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